
それでもオレは…お前に会いたかった。ずっとお前を見てきたから、一緒にいられることが嬉しかった。それが全てだった――。
オレ達を、繪委と誓唯の二人を双児の兄弟――だと、みんなが思い込んでいる。
でも、本当はそうじゃない。そのことを知っているのは当のオレと誓唯だけ、理由はわからないけれど記憶をあの人が書き替えてくれたのだろう。それは気紛れだったのか、意図があってのことなのか今では確かめる術はない。
オレはあの人に逆らい、元の姿に戻れなくなった。でも、後悔はしていない、それどころか感謝してる。オレは何ものにも換え難い大事な時間を貰った。あの人とそして、何よりも誓唯に――。
『あなたの命を削って、与える勇気がある?』
冷徹な審判者の云葉に、誓唯は迷いもなく頷いた。
『ほんと、揃ってバカな子達』
あの人はそう云って姿を消した。オレ達に呆れたのか、見限ったのか、多分両方だったのかもしれない。
そして、審判の傷を両手両足に刻まれた誓唯と、彼によって仮染めの人形から血肉の通った本物の人間として生きる時間を与えられたオレが残された。
あの夜のことをオレは今でも忘れない。オレがこうして存在していられるのは、誓唯が繪委【オレ】という存在を望んでくれたからだ。あの時の嬉しさと、悔しさ。そのことを決して忘れない。たとえオレという存在が消えても、その想いはきっと、消えることはない。
あの夜から6年の月日が流れ、オレ達は大学生になっていた。講議やレポート、部活に追われ、時にはバイトを入れたりと、忙しい日々を送る。そんなごく普通の毎日が、当たり前のように過ぎていく中、オレは自分がすっかり人間だと思い始めていたのかもしれない。
「お帰り、教授の話、なんだったんだ?」
オレは部屋に入ってきた誓唯にそう訊ねた。オレ達が共に取っている講議の後、誓唯が教授に呼ばれた。成績も優秀で、休みもしない誓唯が説教されるはずはないが、何処となく浮かない顔をしていたのがオレは気になった。
「うん、バイトの斡旋…になるのかな」
少し困ったように首を傾げると、誓唯の軽く癖のある前髪が目にかかってその表情を幼く見せる。オレはいつもドキリとして、こんな時は誤魔化すのが大変だ。
「なるのかなって、何だよ。頼り無いな。そんな気乗りしない話なのか?」
ことさら明るくいってみると、誓唯は「そうじゃないけど」っと、口籠りながら説明しだした。教授の教え子の娘さんの家庭教師に、と頼まれたのだというのだ。他にも適任がいそうな気もするが、その子が通っている学校名を聞いてオレは大いに納得した。鎌倉女子学園といえば名門のお嬢様学校だ。いくら成績が良くてもムサイ男はお呼びじゃないし、すかした女たらしはもっての他で、下手な輩は紹介出来ないだろう。その点誓唯は教授のお気に入りなだけでなく、成績、生活態度、性格(もちろん容姿も)の全てにおいて申し分ない、白羽の矢を立てられるのも当然だ。
「へぇー、それでお前にか。なるほど、お前なら安心だよな」
感心したオレの答えが、誓唯は気に触ったらしい。
「それ、教授にも言われたんだけど、どういう意味だよ」
そう云う誓唯は自分では怒っているつもりなのだろうが、拗ねてるようにしか見えない。その仕種の全てが可笑しくて…いい歳をした男にいう台詞ではないが、オレは可愛いと思う。
「さあ、そういう意味だろ。もしかして、それで気が乗らなかったのか? どうせ引き受けたんだろ」
人に頼まれると断れない性格の誓唯のことだ、結構強引なあの教授にゴリ押しされて断れるとは思えなかった。浮かない顔の理由がわかってオレは安心したが、それを顔には出さない。態と呆れるよう云うと、誓唯は静かに微笑った。
「まだだよ。一度会ってからってことにしてもらったんだ。今度の土曜日に先方のお宅に伺うんだけど、繪委も空いてるだろ」
「え? オレ? なんでだ」
突然振られてマヌケな声をあげるオレに、誓唯はさっきの仕返しとばかりとばかりに止めを差した。
「理数系はお前のが得意だから。二人で交代で教えます、って教授にもそう話してあるし。頼むよ、一緒に行ってくれるだろ」
そんな風に優しく笑う誓唯の顔に、オレは弱かった。誓唯の頼み事を最初からオレにイヤと云えるはずもなかった。
あれはたった、6年前のことだ。
意識のない誓唯をオレはやっとのことで部屋に連れ帰った。自分と同程度の身体を運ぶというのは意外に重労働でぜいぜいと息が荒く、何度か大きく息を吐いた。もう不思議な力は使えない、オレは神精霊【ジン】の眷属ではなくなってしまっていたから。人の身体になりきっていない全ての感覚が不確かで、全身の力が抜けてしまったみたいだ。でも、オレの傍らには誓唯がいる。
血の気が引いたその寝顔も、寝息もとても安らかとはいえなくて心配だった。だが、ここにいる。誓唯もオレも。そう思うとオレは嬉しくて溜まらなかった。
『――繪、委…?』
『起きたのか、誓唯』
自分を呼ぶ彼の声にオレは慌ててその顔を覗き込む。まだ焦点の合わぬ瞳にオレの姿が映っていた。もうその瞳は赤く光ってはいなくて、確かに審判は―どういう形にしろ下され―全てが終ったのだとわかった。オレはホッとすると共に、
『誓唯…オレ、お前を――』
云いたいことが沢山あった。見守るしか出来なくて誓唯を苦しめたこと、最後まで自分を信じると云ってくれたのに、だが、誓唯はゆっくりと頭を振りオレの云葉を遮った。
『ルール、違反…なんだろ。わかって――ぅっ』
『誓唯!』
身体を起そうとした誓唯はまだ塞がりきらない傷が響いたのか、形の良い細い眉を苦痛に歪めた。
『痛いか』
『少し…』
明日の朝には消えるはずの傷。だが、その傷みの記憶も罪も誓唯の心に深く刻み込まれてしまった。それを少しでも和らげられたらいいのに…。そう思ったらオレは自然とその掌に唇で触れていた。
『繪――っ』
焦って引っ込めようとするその手をオレは離したくなかった。誓唯の存在を確かめたくって。
『誓唯の傷み、オレにも引き受けさせてくれ。オレは、お前なんだ――』
『繪委――』
誓唯はオレの目を見つめ返し、ふっと笑った。そのまま安心したように目を閉じると、身体の力を抜いた。
『お前の手、温かいな』
(今のオレは人間【ひと】だから、誓唯、お前のお陰だ)
でも、云えなかった。云えばきっと誓唯は自分を責める。自分が選べなかったことも、罰を受けてしまったことも…だけどオレは、失敗だなんて、思わない。誓唯はオレの、掛け替えのない分身なんだ。
『誓唯、朝までまだ時間がある、ゆっくり休めよ』
『うん……目が覚めても、繪委にまた会えるんだよな』
確かめるように、傷付いた自分の手でオレの手を握り返す。誓唯の云葉が、気持ちが嬉しかった。それこそ、涙が出るほどに。でも、オレにはその涙をまだ流すわけにはいかなかった。代わりに誓唯の前髪をそっと梳いた。
『ああ、ずっと一緒だ。これからも』
『うん、繪委…』
安心しきったように誓唯は再び瞳を閉じた。
「どうしたんだ、繪委。そんなに見つめられると穴が空きそうだ」
ボーっとしていたオレは誓唯のそんな茶化すような云葉で我に返った。
「悪い、ちょっと考えごとしてた」
オレは自分の考えに夢中で誓唯の顔をじっと見つめ過ぎてしまっていたらしい。失敗した。いつもは誓唯に気付かれないようにその横顔を見ているのに。調子が狂ったのは多分、あの娘に会った所為かもしれない。
教授の教え子の娘さん、橘一夏。中学二年に上がったばかりだという少女。オレと誓唯が出会ったのも、その頃だったのだから…。気を取り直してオレもことさら明るく云った。
「誓唯、引き受けるんだろ。家庭教師」
「決めつけるなよ。その時は繪委も一緒なんだぜ」
オレの断定に、誓唯は心外だというように顔をしかめて見せたがそんなものは照れ隠しのポーズだとオレにはわかってた。
「オレのことはいいよ。お前が決めたなら。それに誓唯、あの娘のこと気に入ってるだろ」
「ん――まあね」
誓唯も思い当たることがあったのか、照れくさそうに笑った。一夏という少女は人見知りというわけではなかったが物静かな子だ。徐々に打ち解けてきても、礼儀正しい態度を崩さなかった。元々の性格とはいえ、あの年頃の、しかも今時の娘にしては珍しい。それはオレの良く知っている奴ととても似ている。だからそこ、6年前のことを思い出したのかもしれない。
「だと思った。あの子ちょっとお前に―」
「え? 何か言ったか」
オレの呟きは小さすぎて誓唯には届かなかった。その方が良かったから、オレは話を変えた。
「いや、随分と誓唯のこと慕ってたからさ。可愛い女の子に好かれて悪い気はしないだろ」
「何言ってるんだよ。ほとんど話してないのにそんなことわかるわけがないだろ」
誓唯は取り合わなかったが、オレは気付いていた。ずっとはにかんで両親の後ろの隠れるようにしていながら、その瞳がずっと誓唯に注がれていたことを。微かな警戒、好奇心、戸惑い、そしてそれ以上に強い憧れ――その全てが少女の瞳に宿っていた。少女が誓唯に恋したとしても、ムリはないし当然だ。オレは微笑ましいと思った。けれど、あの時の感情はそれだけじゃなくて…。
「心配、なんだ」
どうしてそう思ったのか、意識しない云葉が、オレの口からこぼれていた。その時、オレはまだ形の見えない不安を感じ取っていたのかもしれない。それは誓唯に対してのものだったが、当の誓唯は別の意味に取った。
「あの娘のこと?――そうだな、俺とは違うけど…もしかしたら生き難かったりするのかって…」
俺が勝手に思っただけだと、自嘲気味に誓唯は云った。純粋で無垢で、儚げな雰囲気を漂わせている。一見弱そうに見えてその実、芯が強い――そんな印象の子だ。そんな所も誓唯に良く似ている、やはり誓唯もオレと同じことを感じたのか。
「いいんじゃないか、先生っていうと堅苦しいけど、相談相手になってやるんだと思えば」
「うん、……繪委は俺のこと、何でもお見通しなんだな」
「わかるさ、誓唯のことなら」
自然と口にしていた。が、誓唯はオレを見た後、困ったような顔で優しく笑い、そっと視線を外した。
「――そうだな」
呟く誓唯の憂い含んだ顔は見蕩れるほど綺麗だが、痛々しい。そんな顔をお前にさせたいわけじゃないんだ。だってオレは誓唯のことが…。何度も云おうと思いながらも云えずにいる想い。それを口に出来ぬまま反らされた誓唯の視線の先を追ったオレは、また自分の失敗に気付かされた。
「あっ、オレ観たいTVがあるんだ、先に、シャワー浴びて来ていいか」
その場を取り繕うように云って、オレは誓唯の返事も待たずに部屋から慌ただしく出ていった。パタンと閉じたドア越しで、オレは誓唯の気配を聞いていた。見なくってもわかる、引き出しを開けてそして…
(また、アレを見ているんだ…)
普段は互いに忘れた振りをしている―目を瞑っている―真実を思い出させる唯一の物。
アレは誓唯の机の引き出しにしまわれている。精霊の力を導く勾玉はもうとうに役目を失った抜け殻でしかないのに、未だに誓唯の心を呪縛し続けている。あの時の苦しみを、傷みを、罪を、そして罰を、思い出させる。誓唯の心に血の涙を流させ、命を削る…、削り続けている。それをオレに気付かせまいと、振る舞うお前。そして何も気付かない振りをするオレ自身がもどかしい。
(違うんだ、誓唯。違うんだ)
傍に居て、お前を抱き締めてそう云ってやりたかった。でも、それはお前の心に届かない。お前は思い込んでる、オレが傍にいることをただの義務だと。そうじゃないんだ、オレが傍にいたいから…自分自身よりずっと、お前が大事だって、どうやって伝えたらいいんだろう。
オレはどうしてやることも出来ないのか? 出来ることといったら、こうして誓唯が、一人になりたい時にそうしてやるぐらいしか、ないのか? オレは無力だ。たとえ今、力を持っていたとしても、誓唯の心の傷みを解き放つことが出来ないのならば、同じことだ。あの時みたいに――
極度の緊張で疲れていた誓唯はすぐに寝息をたて始めた。掌の傷が薄くなり続けるごとに、少しずつ頬に赤味が差してきている。その寝顔は初めて会った時から変らずに綺麗で、オレは引き込まれずにはいられなかった。
『誓唯、眠ったのか』
そっと名を呼んでみたが誓唯の応えはない。深い眠りに落ちている誓唯のその安らぎの時を壊さぬように、オレはそっと自分の唇を近付けていった。
(…誓唯―オレ、お前のことが好きだ…)
でもオレは、誓唯の薄い唇には触れなかった、触れられなかった。だから代わりに柔らかい頬に口付けて誓唯の存在を確かめる。それだけで今のオレには充分だったから。
(これは、罰【ペナルティ】じゃない、オレにとっては――)
答えを出す手助け――その役目を果たせなかった自分なのにまだ人間として存在し、何よりも誓唯の傍にいられる。
繪委【オレ】という存在がいつ生まれたのかオレは知らない。オレ達はみんな試しの子の姿の現身…沙耶【あの人】の一部でしかない。それでも、オレはずっと見てた、誓唯が生まれた時から対の存在として、いつか、オレはお前に会うことを、その時を待っていた。
だけど、わかる。たとえそうでなかったとしてもオレはお前を好きになったって、オレはとっくにわかってたんだ。
(これから先、お前が苦しむことがあったら、それは全部オレが受けるから…)
あの時の誓いを、オレはずっと果たしたくて、果たしたくなかった。何故ならそれが為されるときは、オレと誓唯の別れだと、気付いていたから。
そしてオレ達は橘一夏と出会ってしまった。
誓唯の手から離れた勾玉が、一夏を選び、再び自らの役目を取り戻した時、舞夏という少女が現れた。それは、変えられない運命だった。
そうして、止まっていたオレ達の時間も再び、動き出す――
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